日本三大太鼓の一つといわれる助六太鼓は、1968年東京の文京区に於いて日本初の和太鼓プロ集団として発足しました。

江戸から伝わる歌舞伎、長唄などを研鑽し、東京の盆太鼓スタイルであった斜め台による打法を、初めて創作和太鼓に取り入れ構成されたのが助六太鼓です。江戸の祭り情緒を思わせる粋で勇壮な楽曲、踊るように打ちこむ打芸は「助六流」という独自の演奏形態を築きあげました。

家元今泉豊の全身を使った正確で躍動するリズムと和太鼓本来の音にこだわる姿勢は、多層の人々に認められ、音楽界、TV界はもとより国内外で演奏、指導活動を展開し続けています。

助六太鼓 大江戸助六会 盆太鼓 1967 新音太鼓 1968年 助六太鼓発足 当時代表 小輪瀬 晋 プロ活動開始 浅草国際劇場写場に於いて稽古 アメリカ サンフランシスコ3か月公演 サンフランシスコ太鼓道場 太鼓指導 1970 石倉政義脱会 小林正道脱会 (藤舎流へ)小野里元栄脱会 (望月流へ)石塚由孝脱会  1952年 今泉 豊 生まれる 小学生より盆太鼓を始める。 1967 新音太鼓に稽古に行くも3回で解散。15歳 1968年 助六太鼓演奏活動を始める 助六太鼓活動を始める。16歳 1972年 助六太鼓保存会を設立 助六流を伝えるべく協議同意の元、プロ活動とは別に助六太鼓保存会を設立。20歳 当時まだ確立されていない不安定な和太鼓の世界に、年上のプロメンバーが次々と脱会してゆく。 1974 助六太鼓の存続が危ぶまれ、立て直すため当時あった様々な問題を協議上解決し、小輪瀬晋より2代目助六太鼓の代表を受け継ぐ。  1977年 小輪瀬 晋 助六太鼓を今泉豊に継承 1977年 正式に助六太鼓代表となる すでに引退し、某企業に勤めていた小林正道に協力を要請、ここから二人三脚で現在の助六太鼓の礎を築く。 1982年 小林正道大江戸助六太鼓設立 この時、小林氏は兄が名づけた大江戸助六会の名を取り、「大江戸助六太鼓」と命名、暖簾を分けた。 以後、独自の基礎打法、指導法をあみ出し助六太鼓 家元となる

打曲紹介

おろし太鼓
歌舞伎など芝居の幕開けに使う打曲。
白梅太鼓
泉鏡花作「婦系図」のおつた、ちからで有名な東京は湯島天神の白梅に寄せてつぼみが華やかに咲いていく様子を太鼓で表現した打曲。
祭り太鼓
下町の勇壮活発な粋で勢いの良い祭り情緒を表現する打曲。
追い打ち太鼓
八丈島で有名な八丈太鼓のリズムをテーマとして 私達なりにアレンジして激しく打ち込む打曲。
助六二段打ち
私達が特殊なアイデアを取り入れ独自に研究し大小の太鼓を左右に打ち分け、独特のバチさばきでダイナミックに踊りながら打ち込む打曲。
助六屋台打ち
アップテンポなベースに、和太鼓の抑揚をおりまぜ激しさを表現し、 作調された打曲。
みだれ打ち
打者各々が、盆太鼓の技を駆使し、 美しく激しいバチさばきにより作調することにより、自己を表現する打曲。
御輿太鼓
江戸の祭りに欠かせない御輿(みこし)の風情を和太鼓で表現した打曲。
上記の楽曲は助六太鼓オリジナル曲です。 民俗芸能などとは異なり、助六流固有のものです。 許可なく演奏、指導などはできません。

家元制度について

当会は助六流をより多くの世界に広げまた和太鼓を文化として守り、後世に伝えるため家元制度をとっております。